連載 No.9 2015年7月26日掲載

 

写真でなければ表現できないもの


 高知に住んでいた10代のころ、中学高校と写真部に在籍し、いわゆるカメラ雑誌で写真を学び、

昔ながらの漁村のたたずまいや、離島の暮らしなどを撮影していた。

70年代、カメラ雑誌はコントラストの強い強烈な写真が多かった。静かで優しいイメージが好きだったから、

古本屋で長い時間立ち読みして、「こんな写真が撮りたい」、そう思えるものを探していた。



 小説の挿絵のような風景、そんなものが撮れると周りからの評判も良かった。

いつか旅をしながら写真を撮って暮らしたい、そんなことを漠然と考えるようになった。

もちろんそれは理想であって、まずは写真の世界で暮らそうと思って写真の学校に進んだ。



 東京で暮らし、海外の写真作家の作品に触れると、自身の作品の傾向は一気に変わった

銀座の洋書店に通い、写真集の場所ならどこにどの本があるかは店員よりも詳しくなった。

それまで雑誌の写真しか知らなかったわけだから、写真への認識はまったく違うものになり、

「雑誌のための写真」から抜け出すことばかりを考えるようになる。



 東京では埋め立て地の泥を撮り、高知に戻ったときは土佐清水市の竜串海岸や大岐の浜で、

岩や砂浜などの抽象的な造形だけを、テント暮らしをしながら撮影した。

 特に好きだったのは竜串の奇岩。

決して広いとはいえないエリアだが、毎日撮影しても必ず新しい被写体を発見できた。

観光地だから、「写真屋さん、1枚いくらですか」と声をかけられたこともある。

大きな木製のカメラを三脚に乗せ、黒い布をかぶって同じ場所で何時間も足元の小さな石を撮影している姿は、

普通の人から見ればなんとも奇妙だったろう。



 そのころの作品の中でも、最も好きなのがこの1枚。

この被写体が放つ生気のエネルギーを感じ、興奮して撮影したことをはっきりおぼえているのだが、

それよりも、最初の個展のために何日もこの1枚をプリントしていたのを思い出す。

写真でなければ表現できないもの、抽象的なフォルムと光のエネルギーを求めて。

 当時は抽象的なモチーフは理解されにくかった。「誰にでもわかる写真でなければ芸術として意味がない」とか、

「写真のリアリズムは時代を反映していくものだ」などといわれていた。

それは写真が雑誌やグラフなどを中心とした出版に依存していたころの話。在では環境が大きく変化した。

 今は誰もが写真を撮る時代だから、誰にでもわかるものは芸術としてちょっと…なんて敬遠されるかもしれない。

最初の個展から30年たったが、自分の作品はこの頃に比べるとずいぶんわかりやすくなったと思う。